スタッフブログ

  • あの大企業が、、レタス始めました。。

    今日は日本企業の技術の嬉しい話。



    先日、



    腎臓疾患の後遺症で生野菜や果物の摂取が制限されているお客様とお話をさせていただきました。



    野菜や果物は、生の状態だとカリウムが多く含まれ、



    腎臓を患うとカリウムの排泄が滞って体内に蓄積され、



    血液中のカリウム濃度が上昇して不整脈に陥ることがあります。



    そのため、そのまま生で食べるのは避けた方がよく、



    水に溶けやすい性質のカリウムを茹でて少なくするなど、



    食べるときに工夫がいるのです。



    ですから、その方は大好きなミカンでさえ



    火を通さなければならない、もしくは缶詰なら大丈夫とお医者さんに伝えられ



    なぜ好きなミカンを茹でないといけないのかと嘆かれていました。






    食事は今や生きるための不可欠要素の域を越え、嗜好品ともなっています。



    病気のせいで食べたいものが食べれなくなるというのは



    自分に置き換えるとやはり辛いものです。



    同時に日常、生鮮食品をごく当たり前に口にすることの



    ありがたさに気付かされました。



    そんな折、ある知人からの情報提供がありました。



    富士通の先端農業事業が



    秋田県立大学の特許と会津富士加工(株)の技術により



    カリウム含有率85%カットのレタスの栽培に成功したそうです。



    昨年8月のニュースなのでご存じの方も多いかと思いますが



    すでに出荷・販売も開始されているようです。



    これで摂取制限されている方でもサラダが食べれるそうです。



    このことがどれほど嬉しいことなのか、



    それは腎臓疾患者の方々やその身内の方々、



    また治療に関わる人々にしかわかり得ないことかもしれません。



    目下、成功はレタスのみということですが



    今後も様々な野菜や果物の栽培においての成功を祈るばかりです。



    こういった日本の技術はコストや需要の有無などが原因で



    活かされる場が少ないのが現状ですが、



    知るだけでも希望が持てる、それだけで嬉しい出来事であることには変わりありません。



    必死に日々切磋琢磨する研究員や技術者の姿を思い浮かべると



    背筋が伸びる思いです。



    負けてられません。



    真面目な記事になりましたが、



    あっとはんどメンバーは皆ほんと真面目なので



    是非一度、バリアフリー体験館を見学という大義名分の下、



    我々社員の見学、視察にいらっしゃって下さい。お待ちしております。





    記事 / モーリー

  • 紅葉

    先日の日曜日、家族で京都の神護寺に紅葉を見に行ってきました


    京都の中でも、比較的早く紅葉が見れるスポットと言う事で、


    少し紅葉の見ごろより早い時期と、小雨が降っていたためお客様の数は少な目で、


    駐車場も空いておりゆっくり紅葉をみる事ができました。




    また、少し霧がかかっていたので


    霧と紅葉も風情があってとてもいいものでした!




    このような自然を楽しむ観光地は、


    長い階段があったり、坂があったりと少し太り気味の自分にとっては、


    とてもいい運動になりました。





    元気なご高齢の方にとっては、


    私と同じようにいい運動になってとてもいいのですが、


    そうでないご高齢の方にとっては負担が大きく、


    転倒の危険があちらこちらにある非常に危険な場所であるな~と、


    休みにも関わらず仕事目線で物事を見てしまう、


    残念な自分を感じながら思ってしまいました・・・







    ここで転倒して、介護が必要な状況にならない事を願うばかりです・・・

  • 代表 沖浦の生い立ち


    代表沖浦の「山あり谷あり」物語です。
    どんな学生時代を過ごし、現在の会社を立ち上げ、どんな会社を目指しているか、しばしお付き合いください。
    エイジングハウス・アールプラスハウス神戸西店 沖浦写真                  

    【生年月日】:昭和49年5月13日
    【出身地】:兵庫県神戸市
    【資 格】一級建築士、福祉住環境コーディネーター、ホームヘルパー2級、福祉用具専門相談員
    【特 技】スノーボード
    【血液型】B型
    【好きな言葉】最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。(チャールズ・ダーウィン)
    【好きな食べ物】:ラーメン
    【属 性】メタボリック症候群
    【休みの日の過ごし方】
    読書や映画鑑賞。
    冬はスノーボードを息子と共に部活のようにストイックに練習しております。
    【仕事】
    プレイングマネージャーとして現役でやっています。
    新築・融資・土地のご相談などを主に行っています。
    お客様のご要望やお住まいの悩み、お金の不安を解消するベストな間取りを提案いたします。
    また、お客様にお買い得なお家が提供できるように、コストダウンを追求しております。


    まず、簡単な自己紹介をさせていただきます。
    明治大学理工学部建築学科へ入学、その後スーパーゼネコンの内定を辞退し、どうしても家づくりに携わりたいと積水ハウスに入社、そして27歳で2回目のチャレンジで一級建築士を取得し、28歳であっと・はんどを設立。現在はご高齢の方を中心とした住環境改善件数3000件以上の実績をもち、地域に根ざした赤ちゃんからご高齢の方まで、安心・安全・快適に生活できるユニバーサルデザイン住宅づくりに携わらせて頂いております。

    人生の中の良いところだけをギュッと凝縮したこの内容で終われば、とても嫌味な、少し出来る人と思われるかもしれません・・・・
    ところが実態はまったくその逆で、勉強はできない、運動もできない、コンプレックスの塊の失敗の連続人生です!そのあたりをふまえてしばしお付き合い下さい。

    〈誕生から小学生時代〉

    出身は神戸市西区桜が丘。
    当時はよく明石川や山で友達と遊びました。

                           エイジングハウス・アールプラスハウス神戸西店 子供写真 【小学3年】

    小学生の高学年時代は、夏になるとクワガタやカブトムシを捕まえに行き、どんな種類でも1匹50円で買い取ってくれる近所のペットショップへ売りに行き、毎日500円程度の収入を得てプラモデルやゲームを買ったりしたものでした。その時、小学生ながらにして商売の面白さを知りました。後々わかった事ですが、そのペットショップでは50円で売ったクワガタを3,000円で販売していたんです!

    なるほど、これが本当の商売なんだな!!と改めて気づかれたのを覚えております

    〈中学生時代〉

    中学時代は得に勉強もできるわけでも運動ができるわけでも、モテるわけでもなく、とにかく全てにおいて冴えない、居ても居なくても特に誰にも気づかれないような目立たない存在でした。

    部活も球技が苦手でしたので、陸上部に入部。花形である100mでは到底かなわないので消去法で800mや1500mの中距離をやっていました。

    結果はさほど良かったわけではありませんが、中距離の面白さを感じ真面目に取り組んでいたと思います。

    その頃の将来の夢はタイル屋さんでした。父がタイルの販売業をやっており、ちょうどバブル時代の建築業界が一番輝いていた時代ですから、職人の月収が100万円と聞き、単純にその金額に驚き、学歴が無くてもなれる職業という安易な理由です。

    これでもう勉強しなくていいんだ!とすごく開放された、その感覚を今でも覚えています。

    でも現実はそう甘くはなく、最低でも高校は卒業しておかないとダメだ!と母親や先生方に言われ、しかも家計的に私立は無理でしたので、偏差値が一番下の、家から通える工業高校を目標設定しました。

    それでも中学3年生になり、なんとか目標設定していた高校よりちょっとだけ賢い、でも進学校とは程遠い普通科の高校に入学する事になりました。

    〈高校時代~大学時代〉

    中学時代は小柄で、当時神戸の中学校は坊主頭が規則で決まっており、それが冴えない原因の一つだったのです。
    高校に入学後、身長も一気に10cm以上伸びて(それでも人並みなのですが…)
    地道に練習していた陸上の練習が功を奏して、全校生徒のマラソン大会で優勝するなど、まったく冴えなかった中学生活と異なり、少しだけ注目されるようになりました。(それでもたぶん人並みなのですが…)

    それが自信につながり、やればなんでも出来るんだ!と思い、高校生活の3年間は充実した生活を送る事ができました。

    ただ勉強に関しては、相変わらずでした。
    330人中、下から数えて常に10位以内という状況で、進学校でもない高校でこんな順位ですから、もちろん大学進学自体を考えたこともなかったです。

    高校2年の冬、とある理由(人生の大きな転機となった出来事です。)で3泊4日の修学旅行に行けなくなってしまいました。
    その期間というのは大量の宿題が出され、それを終えるために人生の中で一番集中して勉強しました。

    このおかげで修学旅行後の実力テストでなんと学年で10位以内に入ったのです!
    この時は上からです!(笑)
    学年全員が旅行中、自分は今まで生きていた中で最も集中して勉強した結果なので、当然と言えば当然かもしれません。が、この時初めて、夢にすら見ることができなかった大学進学を、ほんの少し意識するようになりました。

    ただ、人はそんなすぐには大きく変われません。相変わらず勉強はせず、変に増幅した自信だけが残り、今度な無謀な目標設定をしてしまいます。

    もちろん結果は散々。大学入試は夜間大学まで落ちる始末…。

    学校の先生や友人からは、おまえには大学は無理だ!と言われ
    (この判断は当時の成績からして正しい判断だと思います)
    勉強していなかったくせに悔しい気持ちだけが一丁前にあり、
    こうなれば、誰もが知っている東京の有名大学にいってやる!っと決心。

    この時初めて本屋の大学受験コーナーに行きました。
    東京の有名大学と言えば、真っ先に頭に思い浮かぶのはやはり「東京大学」
    東大の赤本を手に取ってみました。
    その本の厚さに驚き、問題文すら読めないという事に衝撃を受け、
    3秒ぐらいで断念したと思います。

    そして、東京6大学なる存在を知ったのです。
    東京大学が無理でも、同じグループに属している大学ならすごいだろ!と思い、
    各大学の赤本を一冊づつ確認していきました。

    自分にとってはどれも東京大学とさほど変わらない内容で、どの大学の問題文も理解出来ず、自分の無謀さに改めて気づき、勝手に自分が作り上げて来た希望から失意のどん底にたたき落とされた、そんな気持ちでした。

    それでも、その中で一番薄かった明治大学理工学部の赤本を購入しました。

    購入したものの赤本を見る事はなく、もっと簡単な問題集から勉強をスタートさせました。ところが、頭が空っぽというのは勉強するのに適している事に気づきました。

    分からない事しかないので、分かる喜びがいっぱいあるのです。
    人は好奇心の生き物です。知りたいという欲求を生まれながらにも持っているのです。

    そのスイッチが上手く入り、勉強する事が楽しくなったのです。
    好きな洋楽の音楽をBGMに、リラックスした自分だけの時間で好きなだけ勉強できる。小学校5年生の時に初めてやったゲーム、「ドラゴンクエスト」と同じような感覚で、勉強に取り組めたのです!

    小学生にとっての、「ドラクエ」はあまりにも面白く、親が寝静まった後寝不足になりながら夜な夜な。そして見つかり、怒られる・・・

    ところが、当たり前ですが、勉強はいつやっても怒られない。褒められるし賢くもなり、未来の希望が見えてくる。

    なぜ、今まで勉強してこなかったのか?
    なぜみんなは勉強が嫌いなのか?
    当時はほんとにそれが理解できないくらいスイッチが入っていました。
    好きこそものの上手なれで、成績はみるみる上がりました。

    一応予備校に通っていたのですが、入学試験では一番下のクラス。
    その頃になるとペースが遅すぎて、通っていたのは最初の2か月くらい。
    予備校というのは、もちろん勉強を教えてもらう場という面と、受験生一人で自己管理しながら勉強を続けるのは難しく、その時間を管理してもらうといった側面もあります。

    勉強に対する時間管理を誰かにお願いするといったことは、電車でもトイレでも、寝る前でも好きなマンガを読んでいる感覚で参考書を読んでいた当時の自分にとっては全く不要でした。

    結果、冒頭でご紹介させていただいた
    明治大学理工学部建築学科に合格しました。

    合格した要因を考えてみると、勉強が楽しく出来た事、頭が空っぽだった事。
    そして明確に自分が明治大学に行くイメージを持ちながら勉強出来た事だと思います。

    そういった意味では、だれでも可能性があり、勉強をしない人はたくさんいますが、勉強ができない人はほとんどいないと思います。

    やればできます、ただやらないだけです。

    大学では、意匠(デザイン)を重点的に勉強させていただきました。

    4年が経過して就職となるのですが、当時は就職氷河期の雪解け時期だったこともあり、
    学生にとっては非常に有利に就職しやすく、私もその恩恵を受け日本最大手の建設会社(スーパーゼネコン)と大手住宅メーカーの積水ハウスから内定をいただきました。
    悩んだ結果、お客様と直に接するところで仕事をしたいという想いと住宅に携われる仕事から、積水ハウスを選択し入社しました。

    〈社会人から独立〉

    ところが積水ハウス入社してバリバリ働いて早く一人前になろうと意気込んでいたのですが、社会人と学生の壁は大きく、社会で揉まれる事の大変さ、自分が学生時代に経験したことがまったく通用しないそのレベルの差をまず痛感しました。

    でも、持ち前の負けん気でここでもスイッチが入り、設計、現場管理と短い期間で100棟ほど関わらせて頂き、相当タフにこなしていました。
    ここで、次のステージで自分を試してみたいとの思いから退職を決意します。

    そして、そのタイミングで結婚をしたのですが(このあたりは、本当に無計画人生です…)
    こんな自分を信じて、ついてきてくれた妻には今でも感謝してもしきれないです。ありがとう・・・・

    さあ、次のステージでがんばるぞ!!っと

    でも

    新婚当初、自分は無職、妻はパートに出て小さなアパートでの極貧暮らしがはじまります。

    2か月間は仕事をせず、本当にダメダメ夫でした。

    それでも、なんとか就職しなければいけない、贅沢は言っていられない。どこでもいいから自分を採用してくれる会社を探さねばと・・・(この時は自分のプライドや能力より、生活を優先せざるを得ないぐらい追い込まれていました)
    そこで採用していただいたのが神戸のリフォーム会社でした。

    中小企業なので、集客、営業、設計、現場監理すべて自分で行わなければいけません。
    もちろん大手企業のような充実した研修はありません。

    入社即、営業しろ!仕事は見て覚えろ!分からない事があれば自分で考えろ!でした。
    これが自分に合っていたのです。
    水を得た魚のように、走り回り、結果を出し、会社を大きく変えていくことができました。

    少し父の話をします。
    2002年当時、父の働いていたタイル業界が斜陽産業ということもあって売上が落ち、リストラの嵐が吹き荒れ、父も例外ではなくなっていました。

    年齢的にも56歳。再就職も難しい年齢で、なんとかこの会社で全うしたい思いでした。
    その中で、新たな事業をしようと高齢者に特化したリフォーム事業を起こします。
    一定の売り上げはあったものの、会社の全面的バックアップによる事業化は実現せず、一人の営業マンが社長の言うことを聞かずに勝手にやっているような、そんな事業だったようです。

    そのような状況だったため、父は独立しようと決心します。

    私自身リフォーム業界の経験を通し、高齢者に対するリフォーム事業に対する状況も分かっていたので独立する事は賛成できませんでした。
    なぜなら、高齢者対象のリフォーム工事は介護保険や神戸市の助成制度を使って行うことが多く、その申請手続きが煩雑で、その割には上限金額が設定されている、とても利益が出る事業ではなかったのです、実際このような仕事を当時は手掛けていたのでそれを痛感しておりました。

    それでも父はこの仕事は、これから伸びる仕事だからと、私に熱く語るのです!
    「この仕事はいける!」
    「いや無理」だといった押し問答をしていました。

    自分なりに高齢者リフォームの現状と今後を真剣に考え、事業化できるのか等、シュミレーションしていくようになります。

    いろいろ調べるうちにわかった事は、みんな高齢者が増えるのは分かっている。でも手続きが煩雑で利益がでにくい。だから事業化できずに、専門会社が無い若しくは弱いと言う事。

    実は、前職のリフォーム会社で、会社を大きく変えた一つにすべて業務をワンストップで行えるシステムを作ったのです。
    それは、どこかのシステム会社にお願いしたのではなく、自分で一から作り上げました。
    それを応用して、その煩雑な手続きを簡単に、誰でも短時間でできるようにする事で、逆にライバルの少ない市場で戦えるのでは?そうなれば利益が出せる、事業化できると。

    そこで父と共にその事業を行う決意を行い実家の6畳一間の部屋で2003年 
    「あっと・はんど」が誕生したのです。

    エイジングハウス・アールプラスハウス神戸西店 子どもたち 【独立当時】

    それから、十数年、スタッフも増えショールームも立上げ
    「赤ちゃんから、ご高齢の方まで安全、安心、快適に過ごす事ができるユニバーサルデザイン住宅」を新築で設計から監理まですべてを行える会社まで成長しました。


    そして、しっかりとした家づくりをするためには今まで以上に専門知識が 必要だと考えて、一日の仕事を終えた後、毎晩、勉強しました。
    仕事が忙しく思うように時間は取れませんでしたが、それでも何
    とか眠い目をこすりながら、また家族の協力もあり、おかげさまで、
    「一級建築士」「福祉住環境コーディネーター」の資格を取ることができました。
    ここで、誤解のないようにお願いしたいのですが、私は自慢して言っている訳
    ではありません。
    私にはお客様をお守りする義務があります。そして、お客様をお守りするためには知識が必要だと考えているからです。

    エイジングハウス・アールプラスハウス神戸西店 家族 【一級建築士取得時】

    ところで、私の家づくりでひとつの「転機」がありました。
    ちょっと、聞いていただけますか。

    実は13年前、当時で築25年の中古住宅を買うということになったのです。

    で、その家で家族との暮らしがはじまったのですが、様々な問題が・・・
    ・冬はすごく寒くて家の中なのに吐く息が白い。フローリングはとても冷たくて裸足では歩けません。
    ・すきま風もひどいです。ドアの開閉の度に部屋の温度が一気に下がります。
    ・暖房するたびに結露が起こり窓は毎日びしょびしょに濡れている。
    ・夏場はとても暑く、上階はサウナ状態。窓からは直射日光がガンガン入りエアコンが効かない。
    ・日の差しこみが凄い。眩しいし、暑いのでシャッターは締め切ったままです。
    ・月々の光熱費にびっくりΣ(゜ロ゜;)!!
    ・断熱や気密はもちろん、防音なども全く・・・(-_-;)


    もちろん私は建築のプロですから、ある程度の予測はしていましたが、実際に住んでみるとここまで違うのか
    と愕然としました・・・


    情けない話ですが、このとき初めて、家を買った住む人の気持ちというものを痛いほど知りました。

    住宅ローンに関しても、何もわからない無知のまま不動産業者の言うとおりに契約して進めました。
    後で解ったのですが、住宅ローン控除や団体信用生命保険のことを勉強しておけばもっとお得でした(>_<)


    このことが、私の家づくりの大きな教訓となりました。

    私は、お客様が安心して家づくりを託すことのできる知識と経験を持ち、
    そして、家を建てるお客様の想いに常に寄り添えるアドバイザーでありたいと考えています。

    「家は3回建てて、初めて納得のいくものができる」と昔から言うそうですが、
    そんな贅沢なことができるのは、ごく一部の限られた人だけです。
    多くの人が人生で一度の、失敗の許されない、住まいづくりだと思うのです。

    正直に申し上げますと、その責任の重さに押し潰されそうな、そんな重圧を感じることもあるのです。

    それでもお引渡しの時、またはアフター巡回でお訪ねした時、
    お客様の、「エイジングハウスで建てて良かった~」とのお言葉を笑顔でいただく瞬間、
    私の心の内側から、なんともいえない喜びがこみ上げてきて、
    だからこそ、私は良い家をつくりたい、つくり続けたいと願うのです。

    これまで、多くのお客様に支えられて今日があることに、本当に感謝しています。

    エイジングハウス・アールプラスハウス神戸西店 家族2 【2013年 家族写真】


    追伸

    我々エイジングハウスは迷惑な売り込み営業はいっさい致しません。
    大手ハウスメーカーとは違い、小さい会社ですから皆様のところに頻繁にお邪魔(訪問)したり、お電話を差し上げることは物理的に出来ないのです。
    ですから、そういうことで「熱心だ」「一生懸命だ」とお考えになり、家づくりを任せる業者かどうかを判断するお客様にはエイジングハウスは向かないのかもしれません。
    しかし、材質や施工精度を落とさずに、もっと言えば現場監督やアフターサービスのスタッフは減らさずに家の価格を極限まで下げようとすると、そうせざるを得ないのです。
    エイジングハウスは「赤ちゃんからご高齢の方まで安全・安心・快適に過ごす事ができる家を割安な価格で手に入れたい方」のための会社です。
    そのことだけにこだわっている会社です。
    施工棟数では大手ハウスメーカーには負けますが、地元に根をすえて、じっくりと一棟ずつ家づくりの姿勢においては負けていません。
    これからも「安くていい家」をつくり続けるために限られた人数で頑張っていきます。
    ですから、大変申し訳ありませんが、「ちょっと相談が・・・」とか「教えて欲しいんだけど・・・」というようなことがあれば皆様の方から、是非ともお気軽にお声をかけていただきたいのです。
    ご心配なこと・ご不安なことがあれば、わたくし沖浦までどうぞご遠慮なくご連絡ください。
    本当に「安心できるイイ家を無理のない価格で建てたい」と真剣にお考えの方には、私の持っている知識・経験・技術を駆使して全力でお手伝いします。
    あなた様とお会いできる機会を心より楽しみにしています。

    クスの塊の失敗の連続人生です!そのあたりをふまえてしばしお付き合い下さい。
  • 私もプロ

    なんと! 突然





    お年寄りが目の前で 歩行器ごと倒れた





    信号待ちで車を停めようとした すぐ横の歩道





    あたりを見た わたし以外 誰もいない





    ここは静かな住宅街の T字路の交差点





    バリアフリー工事の打ち合わせに行く 途中の道





    どうする自分 見て見ぬふりも出来るぞ





    どうする自分 一生であるかないかの 人命救助のチャンス





    そうだ とりあえず車を停めよう





    道路わきに車を停め とりあえず駆け寄る





    定番の「大丈夫ですか」





    うずくまり返事が無い





    どうする自分 人工呼吸が出来るのか





    どうする自分 医学知識は無いぞ





    どうする自分 打合せに遅れるぞ





    なんと そこに ヘルパーステーションと書いた車





    声をかけようと思い立ちあがる と同時に車が停車





    「どうしました」と彼女





    うずくまり 動かないお年寄り





    目を合わす わたしと彼女





    「でんわを 救急車を」で意見が一致





    彼女が携帯で消防に通報





    なんと そこに真っ赤な消防車





    防火服を身にまとった消防士付き





    状況を瞬時に判断する消防士





    ガチャガチャと音を立て駆け寄る消防服の男





    電話の相手が「はいこちら消防です どうしました」と叫ぶ





    駆け寄る消防士に 「消防が 救急車が」と うろたえながら説明





    ガチャガチャの 男と電話をかわり 一安心





    わたしも介護にかかわる人





    ヘルパーは介護のプロ





    消防も もちろん プロ





    これぞ 偶然が生んだプロによる連係プレー





    ほっとして 周りを見渡すと





    報恩寺と書いた寺 住職がこちらを見ていた




    もちろん あなたはまだ早い





    さ バリアフリ工事の 打ち合せ 打ち合せ








    記事 / みつじ
     

  • 【Study】何を軸に決めていますか?

    いつもお読みいただきありがとうございます。

    代表の沖浦 剛です。


    ちょっとまじめなお話です!


    経営者の役割の中で最も大切な事は何ですか?と聴かれると


    私は、はっきりこう答えます。



    「決断です!!」


    文字通り、「決めて断つ」こと。

    ”未来の成果につなげるためには、社会のお役に立つためには、お客様、従業員が幸せになるためには今何をすべきかを決めて、一切の言い訳と逃げ道を断つこと”だと考えています。

    でも、私も生身の人間ですから、そこに不安もあれば葛藤もある。


    だからこそ、その決断の軸が必要!


    何は○で何は☓か?

    それこそが、まさに理念に繋がってくるのではないかと思っています。


    「決断を正解にする力」

    「失敗しても確実に前に進む力」

    常にそれを意識して、日々仕事に取り組んでおります。




    今回は、その決断の一つにユニバーサルデザイン住宅事業があります!

    「究極のユニバーサルデザイン住宅新商品発表会」イベントは11/22(土).23(日)

    これは本当に社会に必要なものだと考えております。

    詳しくは当日、お話させていただきますので、お気軽にご参加下さい。


    チラシ表


    チラシ裏


    今回はまじめなお話でした!

  • 肉まん出待ち。あと新築イベントのご案内

    こんにちは。あっとはんどのもーりーです。




    私は普通の一般人なので




    普段どこに行こうが「出待ち」されることがない。




    普段でなくても、おそらく一生を終えるその日まで




    そんなことは起こり得ない。




    起こるとすればそれは人違いに因るものか、




    もしくは不祥事を起こすかの




    どちらかにしか該当しないでしょうが




    どっちも御免です。




    ということでキャーキャーと黄色い声の出待ちは夢のまた夢。






    そんなふうに日々を過ごしていた先日




    寒い夜。仕事帰りにあるコンビニへ入り




    財布には帰りのバス代を含んだ400円しか入っていなかったので




    肉まんのみを買い




    久しぶりに食べるその興奮と




    あったかい熱を胸に




    外へ出ると同時に




    ほんと同時に一匹の猫が私(おそらく肉まん)めがけて一直線に走ってきました。




    そやつは「にゃおわわおん」と聞いたことのない




    まるで中年男性の甘えるような気色の良くない声を発しながら




    目が必死。





    私は夢にまで見た、いや、もう見ることすらなくなってしまった「出待ち」に遭遇したのです。





    これは人違いでも(肉まん持ってりゃ誰でもよかった)、




    不祥事でもないれっきとした出待ち。




    私は感動しました。中年男性だったとしても。




    恍惚としたまま私は―それでも猫の健康を気遣い―、




    血走った猫にパン部(肉まんの外側の部分を何というか知らないのでここでは便宜的にこう呼ぶ)だけをやり




    感謝されること期待し食べ終わるのを待っていました。




    しかし




    私の人生最初で最後の出待ちは




    最悪の結末を迎えることとなりました。




    一口でパン部を平らげた出待ち猫は




    急に怒り狂い、あの中年男性声を出しもっとくれと私に詰め寄ったのです。




    その時の私なぞは浅はかでしたので感謝されて当然といった風な構えでおりましたから




    仰天し、私は肉まんを袋ごと落としてしまったのです。




    すぐに拾おうとした私の腕を払うように出待ち猫は猫パンチを見事なワンツーで操出し




    それによって私は負傷しアツアツの肉まんひょいとを奪われてしまったのです。




    矢庭に彼(彼女)は暗闇へ消え、私は流血し唖然。




    私のこの経験は一つの教訓を残しました。




    猫舌なんて方便であると。







    寒い夜が続きます。



    もう10月も後半。



    あっと・はんど事務所が今年6月に移転したことまではご存じかもしれませんが



    「バリアフリー体験館」なるものが併設されたことまでご存じの方は少ないはず。



    これからこのブログ上にて徐々に情報を解禁していこうと思っていますが



    「夫子過焦人、是亦悪為」と母も申しており、じらすのも度を超すと猫に襲われることもあるので・・



    読者様方にはお店にご来店して頂くのが一番かと(笑)



    さて、話は変わりましてこのバリアフリー体験館にて11/22~23の二日間



    とあるイベントを行います。内容は以下の通りです。



    チラシ表面




    チラシ裏面



    そう、驚かれたでしょうが



    あっと・はんどは新築もするんです。



    我らの社長は一級建築士であり、そして・・



    メガネっ子です。



    短髪で髪の乱れがなく真面目です。



    よく正座しています。イワシ好き。



    さらにバリアフリーデザインに精通した設計力とノウハウを持っています。



    そんなときめく若社長も参加するこのイベント。



    11月後半は紅葉まっただ中です。



    京都は人で埋もれています。



    秋の味覚狩りもすでに狩り尽されているかもしれません。



    そんな憂き目に合うなら是非とも神戸電鉄 木幡駅まで。



    きっと世にもユニバーサルでバリアフリーな体験ができるはず。



    一般の方のご来店、お待ちしています。




    記事 / もーりー

お気軽にお電話・メールにてご相談下さい。
勉強会・相談会へのご参加も、スタッフ一同心よりお待ちしております。

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